夏は高山植物が咲き乱れるお花畑・山岳景観を眺めながら歩くトレッキングや
ラフティング・パラグライダー・気球などさまざまなアクティビティが楽しめます。
ゴンドラ・リフトを乗り継いで行く「八方池」では目の前に白馬三山が迫ります。
冬はスキー・スノーボード・スノートレッキングなどウインタースポーツが満載で
四季を通して楽しむことができます。
1998年開催された「長野冬季オリンピック」スキージャンプ競技場は一般の方の
見学も可能で、ジャンプスタート地点に立つことができます。
黒部ダムは1956年(昭和31年)から7年の歳月をかけ、総工費513億円、述べ1,000万人の
人出を要して完成しました。186mのアーチ式ドーム型ダムの高さは日本一を誇ります。
石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」が制作され世紀の大事業として語り継がれています。
立山黒部アルペンルートは長野県の扇沢から、トロリーバス・ケーブルカー・ロープーウェイ
高原バスなどで富山県の立山駅までつながっています。
黒部ダムの景観、室堂から眺める立山の雄姿、春、高さ20mにも及ぶ「雪の大谷」など見所
満載です。
創設以来1400年の長い間、宗派に関係なく全国の参詣者を受け入れてきました。
ご本尊は「一光三尊阿弥陀如来様」で日本最古の仏像で絶対秘仏です。
7年に一度の御開帳ではご本尊の分身である前立本尊の姿を拝むことができます。
本堂は江戸時代中期の再建で、東日本最大規模の仏教建築の傑作といわれ国宝に
指定されています。
本堂内の真っ暗な回廊を進み「極楽の鍵前」に触れると極楽往生が約束されます。
1783年(天明3年)浅間山の大噴火により流出した溶岩によりできた奇勝です。
正に鬼が押し出したような奇怪な景観は、噴火の激しさを伝えています。
溶岩の規模は幅3km、距離12kmに及び、岩間をぬって2.7kmの遊歩道があり、浅間山
浅間高原、白根山などが眺められるパノラマコースとなっています。
園内には噴火の犠牲者を弔うため東京上野寛永寺の別院として浅間山観音堂が1958年に
建立されました。
上田城は1583年(天正11年)真田昌幸によって建てられた戦国時代屈指の名城です。
上田は戦国時代、真田一族がその名を轟かせた英雄たちゆかりの地です。
現在、春には1000本あまりの桜の花が咲き、秋にはみごとな紅葉が見られ市民の憩いの場
となっています。
明治時代、軽井沢が避暑地として紹介されて以来多くの外国人が滞在しています。
洗練された文化が培われ、日本屈指のリゾート地として栄えてきました。
軽井沢の鹿鳴館と言われた純西洋式ホテル「旧三笠ホテル」や軽井沢開発の父と呼ばれた
カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが最初の夏(1,886年)に滞在した
「ショー記念礼拝堂」など明治時代の建物が残ります。
旧軽井沢は明治時代から滞在した外国人の影響で西洋文化の香り漂う名店が多数あります。
1915年(大正4年)焼岳の噴火によってせき止められた「大正池」や雄大な穂高連峰を眺める
「河童橋」など自然景観がいっぱいです。
また穂高連峰・槍ヶ岳など北アルプス登山の玄関口として多くの登山者が訪れます。
徳沢では5月下旬、ニリンソウの大群落がみられます。
梓川右岸の岩壁には「日本近代登山の父」と呼ばれ日本アルプスを世界に紹介したイギリス人宣教師
ウォルター・ウェストンのレリーフがはめこまれています。
標高2000m面積6km2に広がる高原大地です
山頂の王ヶ頭(2034m)からは富士山・南アルプス・中央アルプス・北アルプス・八ヶ岳
浅間山などを見渡せる360°の大パノラマが展開します。
夏にはレンゲツツジ・ニッコウキスゲ・マツムシソウなど高山植物が可憐な花を咲かせます。
広々とした高原が広がり、放牧された牛たちが草を食み、のどかな景観を生み出しています。
築城400年を誇る、現存する日本最古の城として、日本の国宝に指定されています。
海外からのお客さんの人気も高く多くの方が訪れます。
城内は急な階段、石落し、少ない窓など戦国時代末期(16世紀末)鉄砲戦を想定して
建てられました。
外観は黒い下見板張りと壁を黒く塗り、大阪城と並び「漆黒の天守」とよばれています。
中央アルプス宝剣岳直下標高2610mに位置する、氷河期に氷の浸食によりできたお椀状の窪地です。
畳を1000畳敷けるほどの広さという意味でこの名がつけられました。
春は山スキー、夏は高山植物が咲き乱れ、秋はみごとな紅葉、冬は純白の雪景色が見られます。
千畳敷カールへは、しらび駅より千畳敷駅へ標高差1000mをロープーウェイで上ります。
中央アルプス最高峰2956mの「木曽駒ヶ岳」や「宝剣岳」への登山も楽しめます。
2009年(平成21年)「にほんの里100選」に選ばれ、標高800m〜1000mに位置する
深山幽谷の地にあります。”日本のチロル”と呼ばれ秘境中の秘境です。
最大傾斜38°の傾斜に畑・民家が並びます。
7年に一度、寅と申の年に宝殿を造営し社殿の四隅にモミの木を建てる大祭です。
2016年(平成28年)は御柱祭の年にあたり、諏訪地方6市町村21万人の人々が参加します。
長さ17m、直径1mあまり、重さ16トンを超える大木を山から切り出し、人手だけで曳きだし
社殿の四隅に立てます。諏訪地方の人々の心意気を感じる豪快な御柱祭は見応えがあります。
冷涼な気候がそばを育てるのに適していた長野では昔からそばが栽培されてきました。
記録に残る現在のそば切りの発祥は木曽の定勝寺で、天正2年(1574年)落成祝い
にそばを切ってふるまったという記録が残っています。
長野の中でも地域によってその食べ方が異なり、食べ比べてみるのも楽しみのひとつです。
のどごしがよく、歯ごたえのある、うまいそばを食べるならそばの産地である長野で
味わうのが一番です。
野沢菜は宝暦61年(1756年)に野沢温泉の住職が大阪天王寺からかぶの種を持ち帰り
寺の畑で育て漬物にしたのが始まりといわれています。
現在では、秋になると長野の各家庭で冷たい水で野沢菜を洗い、漬け込む姿が風物詩と
なっています。
冬の長い長野では、秋にいろいろな種類の野菜を漬けて収穫のない冬のたくわえにします。
野沢菜漬には他のかぶにはない独特な味と風味があり海外の方にも人気があります。
日本3大わさびの1つといわれている安曇野のわさびは日本一の生産量をを誇ります。
寿司・信州そばの薬味はもちろん、わさびのいもの部分を刻んで漬けた「わさび漬け」
わさびの葉と茎を醤油でつけた「葉わさび醤油漬」わさびの茎の「きゃらわさび」など
いろいろな食べ方があります。
また、わさびの辛み成分には、酸化ストレスを防ぐ体内酵素を活性化させ、人の老化や
疾病を防ぐ効果があるといわれています。
北アルプスの雪解け水が地下に流れだし、湧水となって湧き出す豊かな水が育てた安曇野
のわさびのツーンと鼻を抜ける辛さが食欲をそそります。
「松本てまり」は江戸時代、松本藩の子女を中心に身近な玩具として親しまれてきました。
「松本てまり」が後世に受け継がれていくように「松本てまり保存会」がその手法を再現し
一つ一つ心をこめて手作りしています。
一名「幸運てまり」とも言われ、日本のお土産品として海外の方々にも喜ばれています。
「松本てまり」総販売元直販サイト